「比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執って、比嘉大吾選手は一体何をした?」
「比嘉大吾選手と具志堅用高さんの関係って悪いの?」
「比嘉大吾選手の過去についても知りたい!」
上記のように考えている方は意外といるかもしれません。
結論、比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執は、体重超過による信頼関係の崩壊やジム運営に対する不満などにより、起こったとされています。
異例の3戦連続世界挑戦に挑む比嘉大吾選手ですが、過去には、白井・具志堅スポーツジムに所属して汗を流していました。
比嘉大吾選手は、具志堅用高さんに憧れてボクシングを始めていますが、現在は具志堅さんの元を離れてボクシングをしているということに、何故と思う方は多いのではないでしょうか?
そこでこの記事では、比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執や関係性、その理由について、分かりやすく解説していきます。
比嘉大吾と具志堅用高の確執とは?関係が悪化したと思われるたった1つの理由!
結論から言うと、比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執は、体重超過が原因だったと言われています。
比嘉選手は、2018年4月にWBC世界フライ級タイトルマッチの防衛戦の計量で900gの体重超過により、日本人世界王者として初の計量失格による王座剥奪という前代未聞の事態が起こり、ボクシング界に衝撃を与えました。
この件が原因で、日本ボクシングコミッション(JBC)から、比嘉選手はボクサーライセンス無期停止処分と復帰する場合に1階級以上転級することを義務付けられ、白井・具志堅スポーツジムには管理責任が問われ戒告処分とされています。
当時の具志堅用高さんは、比嘉選手の所属ジム「白井・具志堅スポーツジム」の会長として長年指導を続けてきましたが、この件について「ショックだった」「あれはあってはならないこと」と周囲に語っていました。
具志堅さんは「比嘉は最後の砦」と語るほど、比嘉選手の才能を信じ大きな期待を寄せていたため、この件で師弟としての信頼関係が崩れてしまったようです。
比嘉選手本人も、この件についてインタビューで「迷惑をかけてしまった」と語っています。
しかし、比嘉選手に関しては、不憫なところもあります。
比嘉選手は以前から減量の厳しさを訴えており、フライ級での継続が困難であることを示唆していました。一部報道では、階級を上げたいという意向を具志堅会長に伝えていたとされますが、会長は「大丈夫」と楽観的な姿勢だったとも報じられています。
また減量失敗の要因として、前回の試合からわずか2ヶ月という短いスパンでタイトルマッチが組まれたことが挙げられています。
体重超過した軽量時は、比嘉選手の減量は限界に達しており、汗も出ない状態だったため再計量を断念しています。
さらに興行やテレビ局の意向が背景にあった可能性も指摘されており、比嘉選手本人の体調や意見が十分に考慮されなかったという批判もあります。
結果が全てのプロボクシングの世界ですが、それゆえに選手とセコンド側が1つのチームとして、どのようにキャリアを積んでいくかを将来を見据えて真剣に考える必要があったのかなと思います。
減量失敗後ですが、責任を問われトレーナーの野木丈司氏が白井・具志堅スポーツジムを退職することになりました。
比嘉選手は「再起するなら野木トレーナーと一緒に」と希望しましたが、具志堅さんはそれを受け入れず、両者の信頼関係は決定的に崩れました。
そのうえ、2020年2月13日に体重超過後の復帰戦を行いましたが、具志堅元会長の姿はなく、再起においても両者の関係は完全に断絶したかのように見えました。
さらに、具志堅元会長はラジオ番組で「比嘉は隠れてお菓子を食べていた」との発言もし、これが比嘉陣営の怒りを買うことになります。野木トレーナーは「そんな事実はないのに、なぜ身内があんなことを言うのか」と憤慨していたと報じられています。
野木トレーナーがジムを退職後も比嘉選手はジムに残留しましたが、最終的には2020年に契約更新をせず、ジムを離れる決断をし、同じ年に当時井岡一翔選手も所属していたAmbition GYMに移籍しています。
この移籍については、具志堅用高さんの奥さん(香澄さん)も関係したと言われています。
白井・具志堅スポーツジムで20年以上チーフトレーナーを務めた友利正さんが「2010年頃から具志堅会長の奥さんが現場に口出しして仕切るようになり、その5年後からは女性マネージャーも一緒になって「減量中にお菓子はダメ」とか、言い方が冷たくてキツかった」などとインタビューで語っています。
当時、具志堅会長はタレント活動、奥さんはマスコミ対応やチケット関連、ファイトマネーの分配などを行い、トレーナーが現場を見ていて、それで現場は回っていたものの、奥さんが現場のことにも口を出すようになったそうです。
そういった中で「比嘉選手の減量失敗の責任を野木トレーナーに押し付けた」とし、その結果、野木トレーナーが辞職し、比嘉選手本人も「ファイトマネーや待遇面で揉めた」ことでジムを去ったともされています。
友利正さんは、その状況について放置している具志堅会長が一番悪いとしつつも、奥さんの影響があったことをインタビューで語っています。
比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執について、本人たちは明確に「絶縁」や「不仲」といった発言はしていないものの、かつての師弟関係が完全に終わりを迎えたことは明らかです。
しかし、ファンからは今も「再び関係を修復してほしい」と願う声が上がっています。
公の場で明確に関係が戻ったことを示さなくても、裏で関係が修復してくれたらと思ってしまいますね。
比嘉大吾と具志堅との確執が具志堅ジムの閉鎖理由?
結論から言うと「白井・具志堅スポーツジム」の閉鎖理由には複数理由があり、比嘉大吾選手の移籍や、その後チャンピオンを育てられなかったこと、ベテラントレーナーや有望選手たちの退職・移籍や資金繰りが厳しい状況にあったことなどが挙げられます。
2023年7月に閉鎖された「白井・具志堅スポーツジム」は、1995年に日本人初のプロボクシング世界王者である白井義男さんと世界王座13連続防衛記録を持つ具志堅用高さんが設立し25年もの運営をしていたプロボクシングジムでした。
一時期は、世界王者・比嘉大吾選手を育て上げたジムとして知られていましたが、比嘉大吾選手の退会後、ジムは新たなスター選手を育成することができず、経営的にも厳しい状況が続いていたとされます。また、具志堅自身も高齢となり、会長職として現場を統率し続ける体力や意欲にも限界があったと見られます。
また、ジム設立当初から在籍していたベテラントレーナーや比嘉大吾選手以外の有望選手も次々と退職・移籍をし、加えて、具志堅の妻や女性マネージャーによる現場への過剰な介入が選手たちの不信感を招き、ジム内の雰囲気は悪化していきました。
こういった状況の中、具志堅さん自身も「比嘉がいなくなったことで、ボクシングへの愛着を失った」と語っており、比嘉選手の存在がジムにとってとても重要だったことがうかがえ、閉鎖の決断には精神的な燃え尽きも影響していたと見られます。
比嘉大吾と具志堅との確執について、知恵袋での見解は?
結論として、Yahoo!知恵袋では比嘉大吾選手の減量失敗による信頼関係の崩壊と具志堅用高さんの奥さんのジム運営への介入が原因なのではという見解がありました。
比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執について、世間はどのように考えているのか、文字数とやりとり回数が一定数あるYahoo!知恵袋の内容をまとめました。
Yahoo!知恵袋では、比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執について、次のようなやりとりが見られました。

具志堅会長が比嘉の減量失敗を公の場で批判したことが、信頼関係を壊した

具志堅の妻や女性マネージャーによる現場介入が選手たちの不満を招き、ジムの雰囲気が悪化し、確執が生まれた。

減量失敗は技術的な問題ではなく、コミュニケーション不足と指導方針のズレが原因
上記以外の見解では、
- 比嘉選手が再起した際に、具志堅さんがセコンドに付かず、一切コメントもなかったのが決裂を表しているのでは
- 比嘉選手のジム移籍が、確執の証拠なのでは
- 具志堅用高はプロ意識に厳しいため、ジムの顔である比嘉の不祥事は致命的だったのでは
Yahoo!知恵袋でも、確執について、比嘉大吾選手の減量失敗が原因なのではという見解が多かったです。
しかし、どちらか一方が悪いという内容ではなく、比嘉選手には「減量管理を怠った責任がある」、具志堅さんには「比嘉選手の才能を活かしきれなかった具志堅さんの指導者としての限界」などといった見解がありました。
比嘉大吾と具志堅用高の確執に関するSNSの声
ここでは「比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執」に関するSNSの声を紹介いたします。
比嘉大吾選手と具志堅用高さんの確執についてSNSでは、比嘉選手の活躍に期待していたファンが多かったためか、具志堅用高さんへの不満が多かったように感じました。
また比嘉選手と具志堅さんの関係について、違和感や不自然さを感じている方も多いようです。
具志堅用高さんに憧れてボクシングの世界に飛び込んだ比嘉大吾選手。
ファンとしては、2人の関係が当時よりも良くなっていることを願いつつ、3度目の正直で世界チャンピオンに慣れることを期待しています。
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