井上尚弥選手の世界戦を見ていると、あまりに強すぎて、
「プロになる前から、今のように強かった?」
「高校時代にライバルっていた?」
「高校時代のライバルたちは今もボクシングしてるの?」
などと、過去の井上選手のライバルたちのことが気になっている方もいるのではないでしょうか?
【結論】
田中亮明選手は競技からは引退しており、中京高等学校の教員として勤務しながら、ボクシング部の監督を務めています。
拳四朗選手は、プロボクシングのWBA、WBC世界フライ級統一王者、また世界2階級制覇王者の現役ボクサーです。
井上選手は史上初の高校7冠に輝いたりと高校時代から国内外で活躍していますが、当時のライバルとして田中亮明選手や寺地拳四朗選手(現・拳四朗)の名前が挙がっています。
ここでは当時井上選手とライバルたちのどちらが強かったのか、またライバルたちは現在どのように過ごしているのかなどを解説していきます。
井上尚弥の高校時代のライバルとは?
冒頭でも記載しましたが、井上選手の高校時代のライバルとして名前が挙がっているのは、次の2人です。
- 田中亮明選手
- 寺地拳四朗選手(現・拳四朗)
【田中亮明選手】
田中亮明選手の高校時代は、岐阜県の中京高等学校(現・中京学院大附中京高校)に在籍し、ボクシング部の主将を務めました。高校3年生の時には国民体育大会の少年の部フライ級で優勝し、その実力を全国に示しました。
その後、国体で優勝し全国タイトルを獲得しました。この経験が彼のボクシングキャリアにおいて大きな自信となったのです。
高校卒業後は駒澤大学に進学し、アマチュアボクシングの道を歩み続けました。大学時代には国民体育大会で4連覇を達成し、全日本選手権でもフライ級で3度優勝するなど、圧倒的な成績を残しました。
その後、東京オリンピックに出場し、フライ級で銅メダルを獲得するなど、日本のアマチュアボクシング界を代表する選手へと成長しました。
【拳四朗選手】
寺地拳四朗選手の高校時代は、奈良朱雀高校に進学し、スポーツ推薦でボクシングを始めましたが、実は最初はそれほど熱心ではなかったそうです。もともと競艇選手を目指していた彼は、競艇学校への推薦を得るためにボクシングを続けていたのです。しかし、試合を重ねるうちにその才能が開花し、次第にボクシングにのめり込んでいきました。
高校時代の寺地選手は、インターハイや国体に出場し、全国レベルの選手として活躍しました。
高校卒業後、寺地選手は関西大学に進学し、さらにボクシングの技術を磨きました。大学時代には京口紘人選手と4度対戦し、3勝1敗という結果を残しました。大学4年生の時には東京国体で優勝し、全日本選手権では準優勝を果たすなど、アマチュアボクシング界で確固たる地位を築きました。
高校時代の寺地選手は、競艇選手への夢を持ちながらも、ボクシングの才能を開花させていった特異な経歴を持っています。最初は「嫌々ながら」始めたボクシングでしたが、次第にその魅力に引き込まれ、最終的には世界王者へと成長していきました。彼の高校時代の経験が、後のプロキャリアに大きな影響を与えたことは間違いありません
井上尚弥と田中亮明はどっちが強い?
田中選手は岐阜県の中京高校(現・中京学院大附中京高校)に在籍し、井上選手と何度も対戦しています。
結果は、田中選手は井上選手に4戦4敗でした。
特に高校選抜準々決勝では、井上選手がすでに国体を制し、3冠を狙っていた中での対戦となり、非常に注目された試合で、田中選手は果敢に挑みましたが、井上選手の技術とパワーに圧倒されました。
しかし、田中選手はこの敗北を糧に成長を続け、高校3年生のインターハイ決勝では井上選手と再び対戦し、結果は僅差の判定負けでしたが、試合内容は非常に競り合ったものになりました。
高校時代の対戦結果から井上選手は田中選手よりも強いと言えますが、田中選手も敗戦を糧に成長し、良きライバルとして切磋琢磨する関係でした。
井上尚弥と拳四朗はどっちが強い?
井上尚弥選手と寺地拳四朗選手は、プロでの対戦はありませんが、高校生の時に2度の対戦経験があります。
1度目は高校3年生のインターハイ決勝で、2度目は国体準決勝です。
1度目のインターハイ決勝では、2学年下の井上選手に3Rレフェリーストップコンテスト(RSC)で敗れました。
2度目の国体準決勝では、判定負けを喫しています。
プロになってからは、戦績やスタイルから予想として比較してみると、田中亮明選手のところでも記載しましたが、井上選手は圧倒的な攻撃力と防御技術を持ち、世界4階級制覇を達成し、特にそのパンチの精度とパワーは世界的に評価されており、対戦相手を圧倒する試合運びが特徴です。
一方、寺地拳四朗選手はライトフライ級で活躍し、卓越したディフェンス力と距離感のコントロールを武器に戦っています。彼はWBAとWBCの2団体統一王者として君臨し、テクニカルな試合運びが評価されています。
過去の戦績を比較すると、井上選手はKO率が非常に高く、試合のほとんどを圧倒的なパワーで終わらせています。
一方、寺地選手は冷静な試合運びとディフェンス力を活かし、ポイントを積み重ねるスタイルが特徴です。
現時点では井上選手がより高い評価を受けていますが、寺地選手もまた高い潜在能力を持ち、今後の活躍次第ではさらに評価が変わる可能性があります。
【番外編】井上尚弥と田中恒成はどっちが強い?
田中亮明選手の弟である田中恒成選手と井上尚弥選手のどちらが強いかと話題になることがあります。
井上尚弥選手と田中恒成選手、それぞれ高校時代から実績を残していますが、両者は階級が異なるため、高校時代を含め直接対決をしたことはありません。
しかし、スパーリングを行ったことはあるため、その際の印象や戦績をもとに予想として比較することができます。
井上尚弥選手は圧倒的な攻撃力と防御技術を持ち、特にそのパンチの精度とパワーは世界的に評価されており、対戦相手を圧倒する試合運びが特徴です。
一方、田中恒成選手はスピードとテクニックに優れ、彼のフットワークとハンドスピードは日本の歴代王者の中でも屈指のものとされています。
過去に行われたスパーリングでは、田中選手が「結構打たれた」「ボディを1つ綺麗にもらった」「ジャブが強かった」などと話しており、井上選手の攻撃力の高さを実感したようです。また、井上選手は試合ごとに進化し続け、世界のトップ選手を次々と撃破していることから、総合的な実力では井上選手が優勢と考えられます。
ただし、田中選手もまた高い潜在能力を持っているため、今後の成長次第ではさらに評価が変わる可能性があります。
ライバルたちは今どうしてる?
田中亮明選手は、現在中京高等学校の教員として勤務しながら、ボクシング部の監督を務めています。彼はアマチュアボクシング界で長く活躍し、東京オリンピックのフライ級で銅メダルを獲得しました。この功績により、日本のアマチュアボクシング界を代表する選手の一人として認識されています。
オリンピック後は競技から引退し、指導者としての道を歩んでいます。彼は自身の経験を活かし、次世代のボクサーを育成することに力を注いでおり、特にインターハイ優勝を目標に掲げています。また、地元の小中学校で講演活動を行い、ボクシングの普及にも貢献しています。
田中選手は、プロ転向の可能性については否定しており、今後もアマチュアボクシングの発展に尽力する意向を示しています。彼の指導のもとで育つ選手たちが、将来の日本ボクシング界を担う存在となることが期待されています。
寺地拳四朗選手は、現在WBA&WBC世界フライ級統一王者として活躍しています。
2025年3月13日に行われたユーリ阿久井政悟選手との統一戦では、12回TKO勝ちを収め、WBA王座を獲得しました。この試合後、寺地選手は「ユーリ選手は本当に強かった。あの選手を上回れたことは大きな成長」と語り、さらなる進化に自信を見せています。
次戦は夏ごろにフライ級での防衛戦が濃厚とされており、将来的にはスーパーフライ級への転向も視野に入れています。特にWBCスーパーフライ級王者のジェシー・ロドリゲス選手との対戦を希望しており、「価値の上がる相手とタイトル戦をしたい」と意欲を示しています。
また米専門誌「ザ・リング」のパウンド・フォー・パウンド(PFP、全階級を通じての最強ランク)で初めて10位にランクインし「うれしい。よりモチベーションが上がった」とも語っています。
寺地選手は、ライトフライ級時代から卓越したディフェンス力と距離感のコントロールを武器に戦い、安定した試合運びで王座を守り続けてきました。今後の防衛戦や階級転向の動向に注目が集まっています。
井上尚弥の高校時代のライバルに関するSNSの声
ここでは、井上尚弥の高校時代のライバルに関するSNSの声を紹介いたします。
井上尚弥選手の高校時代のライバルとして、田中亮明選手と寺地拳四朗選手の名前を挙げていますね。
井上選手はプロとして圧倒的に強いため、高校時代など過去についても興味がわきますよね!
井上尚弥選手、田中亮明選手、寺地拳四朗選手が同年代に集まっているってのは、スゴイ高校時代ですよね。
ライバルとしてしのぎを削り、負けやギリギリの戦いを経験をすることは、更に強くなっていくことの絶対条件なんでしょうね。
今後のそれぞれ目指す道が栄光であるように、応援しています!
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